誰かの願いが叶うころ

 

 この秘密は、誰にも知らせるわけにはいかない。
 決して、誰にも。
 一生俺の胸の底に、深く沈めておくんだ。

 
 薫の様子がおかしくなったのは、雪代縁との戦いの後、しばらく経ってからだった。
 傷を負った剣心の看病にかかりきりでろくに休みもしないのに皆が心配していた矢先、真っ青な顔をして倒れた。
 夏バテかしら、と紙のような顔色で無理に笑い、俺の軽口にも伝法に返すのにそれでも少し動いただけで座り込み、浅い呼吸で冷や汗を流す様子にただ事でないと感じ、恵に話すとすぐに診に来てくれた。
 診察の後、恵はそのまま剣心の部屋へ向かい、長いこと話し込んでいた。
「なあ、薫の具合どうなんだ?」
 帰り際に声をかけた俺に、恵は珍しく歯切れが悪かった。
 不審な表情を浮かべた俺に、慌ててかがんで目線を合わせる。
「だいじょうぶよ。ここんとこちょっと剣さんの看病で頑張りすぎたのね。2,3日休めばよくなるわ。剣さんの傷もだいぶよくなってるし、ほっとして疲れがでちゃったのかもね。おかゆ作っておいたから、後で食べさせてあげて。剣さんと弥彦君の分もあるから」
 そういって俺の頭を撫で、また明日も来ると言って帰っていった。

「薫、起きてるか?飯持ってきてやったぞ」
 様子見もかねて粥と海苔にうめぼしとじゃこの皿を載せた盆を持っていった。寝ているかと思ったが返事があって、障子を開けると寝巻き姿の薫が布団に横になっていた。
「粥だ。なんと卵入りだぜ。恵からおすそ分けだってさ」
 うまそうに湯気を立てる粥の入った器を一瞥して、目線をそらす。
「・・・・今はいらない」
「わがまま言うな。せっかく持ってきてやったんだぞ。食え。食わねぇと元気が出ねぇぞ」
「・・・そうね。わかった。食べる」
「よし。ここおいとくからな」
「ありがと。・・・ねえ、剣心は?」
「部屋。さっき恵が帰ったとこ」
「・・・そう。」
「・・・薫、だいじょうぶか?何か欲しいもんとかあるか」
「・・・だいじょうぶよ。私は、だいじょうぶ。」
 そういった薫の顔は青白いくせに妙に清々として、晴れやかだった。

 その夜遅く、俺は剣心が縁側に座って月を眺めているのを見た。
「剣心・・・?寝ないのか」
「ああ、弥彦。ほら、月があんまり綺麗に見えるのでつい、な。もう寝むよ」
「そっか。」
「・・・弥彦、薫殿の様子はいかがでござった?」
「うん、だいじょうぶだって。ちょっとしんどそうだったけど、すぐよくなるって恵も言ってた」
「・・・そうか。」
 鈴虫の鳴き声が、庭に響く。
「剣心・・・?」
「ほら、弥彦もこんなところへいて風邪をひいてはいけない。はやく布団にお入り」
「こども扱いすんねぇ。それいうなら剣心だってだろうが」
 そういうと、剣心は俺が大好きなあの優しい笑みを浮かべて、鳩のようにくく、と笑った。
「そうだな。おやすみ、弥彦。」
 それでも部屋へ入る前に振り返って見た時、剣心はまだ遠く彼方にある月を見ていた。

 翌日、珍しく昼前に左之助が現れた。顔をあわせた途端、俺の頭をわしわしとかき回して手に桃の入った籠を押し付けると、ろくに挨拶もせぬまま剣心の部屋に入っていった。
 剥いた桃を薫の部屋へ持っていく途中で、剣心の部屋の前を通った。
 障子の向こうの話し声が聞こえる。
「・・・じゃあ、嬢ちゃんは・・・」
「ああ。間違いないそうでござる。そろそろ3月目だそうだ」
「三月・・・それって」
「薫殿は、拙者の子だと申している」
「・・・それで、おめぇはどうなんだ」
「そうだ。確かに、拙者の子に相違ない」
 俺の足がその場に凍りつく。盆を取り落としそうになるのを必死で堪えた。
「・・・そいつぁ、ほんでか。剣心」
 心なしか、左之助の声が震えていた。
「・・・・」
「剣心。俺はてめぇと嬢ちゃんとをずっと見てきた。おめぇは最初にいつ流れるかわからねぇ、って嬢ちゃんに言ったな。しかも三月前のお前は、生きるか死ぬかも定かじゃなかった。そんな状態 でおめぇが嬢ちゃんとそうはなるめぇ。いや、なるんならとっくになってたろ。俺にはてんで納得いかねぇ。どうしてもおめぇのすることとは思えねぇ。剣心、」
「・・・・」
「俺にはうそをつくな。」
「・・・・」
 ふたりの間に、重苦しい数瞬が流れる。
「おめぇが言わねぇなら俺が言うぞ。三月前といや、嬢ちゃんが雪代縁にさらわれてた頃だ。おめぇの側には嬢ちゃんはいなかった」
「・・・よせ、左之」
「おめぇの子のはずがねぇ。そうだろ。・・・腹の子は・・・縁の子か」
「薫殿は、拙者の子だと申してござる。」
「・・・剣心・・・」
「・・・・おめぇは、それでいいのか!」
 激高した左之助の声が響く。障子に映る影が、剣心の肩を掴んで揺さぶっている。
「左之・・・落ち着け」
 普通なら一番取り乱していい筈の剣心が、穏やかな声で呼びかけた。
「左之、縁は・・・縁は、薫殿を拙者の想い人だと思ったのだ。だから拙者を傷つける為に、薫殿を・・・。薫殿は拙者のせいでいためられた。そして縁をそこまで追い込んだのは拙者なんだ。だからこのことの全責任は拙者にある。薫殿の腹の子は、確かに拙者のなした事の結果なのだ」
「・・・っ」
「拙者は父親になる。産み月に満たぬ前に、祝言を挙げる」
「剣心・・・」
 左之助の掠れた呟きがもれた。
「おめぇは・・・それで、それでいいのか」
「何より薫殿が、それを望んでいる。そして、拙者も」
 強く肩を掴んでいた左之助の手から、力が抜けた。
「左之、祝ってくれぬのか?拙者と薫殿と・・・そして新しい命を」 

 すっかり色が変わってしまった桃を持ってのぞいた薫の部屋で俺が見たのは、剣心の襟巻きを抱いて眠る薫の姿だった。
 俺は仕方なく、薫の寝顔を見ながら自分で桃を食った。桃は甘く、喉の奥が少しチリチリした。

 それからしばらくして、左之助は日本を出て行った。
 故郷で暴れた件で官警に追われて日本に居られなくなったからだ。
 日本を発つ直前に左之助とふたり、サシで飲んだ。
「で、いつ帰ってきやがる気だ」
「そうさなあ。しばらくほとぼりが冷めるまでは戻れねぇだろなあ。」
「どこまで行くんだ?」
「・・・弥彦、てめぇ知ってるか?世の中ってのは丸いんだとよ。真ん丸い玉の向こう側の、山の上の天に近い場所に石の都があるんだと。」
「地球の反対側の、空の上か」
「ああ。とりあえずそこに行ってくらあ。・・・弥彦。」
「なんだ?」
「・・・剣心と嬢ちゃんのこと・・・頼んだぜ」
 地球の反対側の、空の上。
 この世でこれ以上ねぇほどここから遠く離れて、おまえは一体どうしようってんだ。

 その夜左之助にしては珍しく酔いつぶれ、先につぶれていた俺に並んで横になった。
「なあ、あいつ幸せになるんだってよ。それが一番だよな。あいつが笑ってりゃ、俺は・・・」 
 暗闇の中独り言のようにつぶやかれた言葉に、俺は寝たふりをして聞き流した。

 左之助が発つ日、俺たちは見送りに出た。
 左之助はまたすぐ明日にでも会えるかのように笑って手を振った。
 港には、左之助を慕う舎弟たちや華やかな花柳界の女たちもつめかけていた。それぞれが名残を惜しみ、無事を祈る。
 一番気軽でいるのは本人だった。
「じゃあな、弥彦。次会う時には、ちったあでっかくなってろよ」
 そういっていつものように髪をわしわしとかき混ぜた。
「いってろよ。今度会うときは見下ろしてやっからな」
「おう。楽しみにしてるぜ」
 そういって笑う。左之助の笑顔はいつも夏の日差しのようで、俺は思わず目を細めた。この底抜けに明るい笑顔も笑い声も、しばらく聞けなくなるのだ。
「嬢ちゃん」
 左之助は薫に向き直った。
 体に障るから見送りはいいと左之助は言ったのだが、どうしても行くのだと言い張り車に乗ってここまで来ていた。
「左之助っ・・・」
 薫の目には涙がいっぱいに溜まり、今にもこぼれそうだ。
「すまねえな、祝言に出てやれなくて。」
「うん・・・。」
 そこまで言うと、とうとう泣き出してしまった。
「ばかね、きっと近いうちにのこのこ帰ってくるわよ。ほらほら、笑って見送るって言ってたでしょ」
 恵がハンカチを出して薫に手渡した。
「無茶しないでよ。怪我したって私はいないんだからね」
「ありがとな、恵。・・・後のこと、頼んだぜ」
「...わかってるわ。気をつけてね」
 恵に縋って泣く薫の頭を軽く叩き、左之助は言った。
「ほら、あんまり泣いてちゃ腹ん中の赤ん坊に笑われるぞ。しばらくはお転婆もよして、おとなししくするんだぜ。大事な体なんだからな」
「もうっ左之助のばかっ」
 頬を膨らませるがその間にも涙がこぼれ、こらえ切れずに薫は左之助の胸に飛びこんだ。
「元気でね。帰ってきたら、一番に顔を見せに来てよ」
「ああ、わかった。嬢ちゃんも元気でな。いっぱい子供作って、家族増やせ。嬢ちゃんの為だけじゃねえ、剣心の為にもな」

「うん。うん。そうよね。ありがとう、左之助」
 家族に縁の薄かった薫にとって、左之助は兄のような存在だったのだろう。口では何と言おうと、確かに薫は左之助を剣心とは違う意味で慕っていた。
 そして左之助は剣心の前に立った。
「じゃあな」
「ああ。元気で」
「ああ。おめぇもな」
 剣心は透き通るような笑顔でうなずいた。
「剣心、」
 搾り出すような声がもれて、左之助は自分で出した声に戸惑っているようだった。しかしすぐに気を取り直す。
「剣心、幸せになれよ」
 その言葉を聞いた時の剣心の顔に、見覚えがあった。
 あれは、あの夜縁側で月を見上げていた時の顔だ。
「左之も、・・・どうか幸せになってくれ」
「ああ。そうだな」
 それが最後の言葉だった。
 汽笛が鳴らされ、船が港を遠ざかっていく。
 左之助は甲板に立って、ずっとこちらを見ていた。
 剣心は船が見えなくなっても、あの笑顔を浮かべたままいつまでも地平線を見ていた。
 そしてそれが、左之助との最後になった。その後二度と、俺たちの前に左之助が現れることはなかった。

 一月後、剣心と薫が祝言を挙げた。
 身内だけのささやかなものだったが、京都からは操たち葵屋の連中が駆けつけ、にぎやかな祝いとなった。
 少しおなかの目立ってきた薫はとても幸せそうで、剣心と並んだ姿はまるでおひなさまのようだった。
 終始薫を気遣う剣心の様子に皆から散々からかわれ、薫は顔を真っ赤に染めながらも嬉しそうだった。
 ふたりは、これ以上ない似合いの夫婦だと誰もが口々にそういった。

 そしてその半年後、子供が無事産まれた。
 男の子だった。剣路、と名付けられた。
 抱いてごらん、と手渡された赤ん坊は乳臭く、くにゃくにゃしていて小さかった。
 俺の指をしっかりと掴む力はかなり強くて、俺は不思議な気持ちでその生き物を見つめた。
 生まれたばかりの頃はしわくちゃのサルのようだったが、しばらくすると髪の毛が生え始め、眼が開いた。
 そして大きくなるにつれ赤ん坊は剣心によく似ていることがわかってきた。
 赤い髪、不思議な藤色の瞳。白い肌。
 誰に見せても、お父さんにそっくりだと言った。そう言われると、薫は本当に嬉しそうに笑った。

 夕飯を神谷家で食べて帰り、俺は恵を家まで送る。その道すがら、恵はぽつりと言った。
「剣路ちゃん、本当に剣さんそっくりね」
「そうだな」
「・・・弥彦君は、知ってるんでしょう?聡い子だものね。」
「・・・・」
「私にはわからない。剣さんは自分の子だと言うばかりだったけど・・・。でもあんなに似てると、本当かもしれないなんて思うわね。・・・」
「・・・剣路は、剣心の子だよ。剣心と薫がそういうんだから、そうなんだ」
「そうね。つまらないこと言ったわね。ごめんなさい。・・・でもね。私、昔父から不思議な話を聞いたの。父は色んな話をしてくれたわ。典医をしている時に見聞きした話が多かったわね。中でも覚えてるのがね、ある殿様の御側室の話。ある殿様に是非にと望まれて輿入れした御側室が殿の種を身ごもって、赤ちゃんを産んだの。でも、不思議なことに赤ちゃんの髪が金色だったのよ。殿様は御側室が密通したのだと思ってひどく折檻したんだけど、御側室の側にはそれまで一度も異人が近づいたことさえなかったのよ。でもお疑いは解けず、かわいそうに赤ちゃんも御側室も殺されてしまったらしいわ。でも死んだ後、御側室が肌身離さず持っていた文箱の中から、何百年も前の金髪の男性の肖像画が出てきたんですって・・・。不思議でしょう」
「・・・・」
「つまらない話をしたわね。忘れてちょうだい。少し父のことを思い出しただけなの。でもよかったわ。剣さんと薫ちゃんはとてもいい夫婦だし、もう何も心配いらない。・・・私、東京にいる意味がなくなってしまったわ」
「恵・・・」
「剣さんと薫ちゃんは好きよ。皆も大好き。でも・・・このままここにいるのは辛いわ。私、これでも失恋したのよ、多分。」
「・・・・」
「本当のことなんて誰にもわからないわ。剣さんが本当は誰を守りたかったのかなんて、誰にもわからない。でも、多分私じゃなかったことだけは確かね。・・・ありがとう、弥彦君。ここからはもうひとりで平気よ。おやすみ」
 恵が会津に帰るのは、それからしばらく後のことだった。

 剣路が生まれてから3年ほどして、薫はふたりめの子供を産んだ。
 俺は神谷の家を出ていたが、師範代として道場に通う生活だった。
 相変わらず剣心と薫は昔のままだった。特に剣心は出会った頃とまったく変わらず、ただ剣術が使えない為に家事や育児を担当する生活をしていた。
 俺は少しほっとしていた。剣路は誰が見ても血縁を疑わぬほど剣心によく似ている。しかし本当の意味でのふたりの子供が産まれれば、ふたりの絆はより深まると思ったからだ。

 ふたりめが生まれたのは、夏の盛りだった。
 庭では蝉がうるさいほど鳴きわめいていた。
 生まれたての赤ん坊を見せられて、俺は笑ってしまった。赤ん坊というのは皆似たような顔になるらしい。剣路の時とおなじ、シワシワの子ザルがそこにいた。横から覗き込んだ剣路が、おそるおそる赤ん坊の手を握った。
「おまえの弟だぜ、剣路」
 そういうと、剣路は嬉しそうに笑った。

 子ザルは、心路と名付けられた。日に日に大きくなり、髪の毛も生えた。
 心路は、父親に似なかった。
 しかしかといって母親にも似ていなかった。
 心路の髪も瞳の色も、漆のように黒かった。髪の毛は硬く、いくつもつむじのあるせいでぴんぴんと天に向かって威勢良くはねた。肌は生まれついての地黒で、そして何よりその瞳の威圧的なまでの力強さは、俺にひとりの男の名を思い起こさせた。
 柔和で、どこか優美なまでの印象を与える剣路と、野性的な雰囲気をかもす心路。
 何もかもが対照的な兄弟だった。兄は剣術に秀でたが、弟は剣にはあまり興味をもたず、ガキ大将で外で遊びまわ り、年長の者を相手に喧嘩するのが常だった。
 長じるに従い、互いの差は顕著になった。一緒にいても、兄弟だと見抜ける者は誰もいなかった。
 そして耳障りな噂が飛び交いだすのに、間はかからなかった。
 心路が五つの頃、泣きながら俺にすがってきた事があった。
 最初は泣くばかりで仔細もわからなかったが、宥めすかして聞き出してみると、年長の子供にいじめられたのだという。
 うでっぷしも強く、三つ四つ上の子供くらい平気で泣き帰らせる心路には珍しいことだと思えば、父親のことでからかわれたらしい。
「なあ、弥彦。俺は、父上の子じゃないのか?」
 その言葉を聞いたとたん、俺は背中に冷や水を浴びせられる思いがした。
「誰がそんなこと言ったんだ、心路。」
「みんな言ってるって。兄貴は父上そっくりだけど、俺は父上にも母上にも似てない。だから俺は貰いっ子だって。でも別の奴は、貰いっ子どこじゃねえ、母上がふしだらを仕出かしたんだって言うんだ。俺の父上は、ほんとの父上じゃないって。」
 そこでまた泣き出してしまった心路を、俺は必死で宥めることしかできなかった。
「そんなことあるか。心路は、間違いなく剣心と薫の子だ。剣路兄さんの弟だ。他所の誰かがつく嘘に惑わされるな。いいか?心路」
 心路は必死で涙をふいて頷いた。しかし囁かれる無責任な噂をとどめる手段など、小さな子供には何もありはしない。
 長ずるにつれ益々噂は本当の事の様に語られた。町内では心路の父親は、以前神谷道場に出入りしていた喧嘩屋なんどというやくざな商売をしていた札付き のお尋ね者が間男してできた子だとしたり顔で語られた。
 そして誰もがそれを信じるほど、心路は左之助に瓜二つだったのだ。
 心路は学校や行く先々でも「不義の子」の烙印を押された。子供たちは、大人のいう言葉を意味もよくわからぬまま真似し、心路を傷つけた。
 しかし何より気がかりだったのは、薫だった。誰よりも心路を守ってやるべき存在である薫が、心路を疎んじたのだ。そしてその代わりのように、剣路を溺愛した。特に心路が剣心と接するのを忌み、かと思えば突然猫可愛がりをする。
 ある日ふたりが話をしている所を偶然耳にしてしまった。
「だってあの子は私の子供じゃないのよ。みんな言ってるわ、心路は私が左之助と密通してできた罪の子だって。」
「馬鹿な事を言うな、埒もない!君がそんな風でどうする!」
「あの子、日に日に左之助に似てくるわ。どうして?あなたの子でない剣路はあなたにそっくりなのに、あなたの子のはずの心路はあなたに似ないの?」
 静かに顔を伏せる薫は青ざめていた。
「確かに心路は私がおなかを痛めて産んだ私の子よ。愛しくないわけがないわ。でも・・・辛いのよ。あの子を見てると辛いの。・・・ごめんなさい。剣心、どうか許して・・・」

 それからしばらくして心路は、神谷家の遠縁で、子供の居ない家に養子に出された。親戚間で養子に出すことが日常茶飯事であった時代だった。先方の家では可愛がられ、不義の子だなどとしたり顔で罵る者もなく、道場に居た頃よりよほど心穏やかに暮らしているようだった。
 時折訪れる自分に、心路は言った。
「俺、この家に来ることになった時、父上に聞いたんだ。俺が父上の子じゃないから養子に出されるのかって。そしたら父上は手をついて俺に頭を下げて、辛い思いをさせてすまない、って言ったんだ。でも、顔は似てなくても、俺は間違いなく、父上の子だって。誰よりも俺が大事だって、いとおしいって、そう言って、ぎゅって抱きしめてくれたんだ」
「・・・そうか。よかったな、心路。」
「うんっ。」
 俺は知っている。
 薫が時々心路の様子を見に、そっとこの遠縁の家にまで足を運んでいることを。
 そして剣心もまた、いつも心路を見守っていることを。

 そしてまた、数年の時が流れた。
 ある日、道場に客が訪れた。
 見事な赤毛をした白系の異人女性で、たどたどしいながら日本語をあやつり、ローズと名乗った。
「ケンシンさんは、いらっしゃいますか?」
「剣心は・・・もうここにはいません。失礼ですがどういったお知り合いで?」
 彼女は赤く顔を染め、言った。
「実は、ケンシンさんとお会いしたことないんです。ただ・・・どんな方かお会いしたくて。私、アメリカから来ました。アメリカで、日本人の方と知り合って結婚したんです。今は彼の仕事に付き合って日本に来ました。実は私・・・サガラサノスケさんと知り合いです。彼からケンシンさんのことを聞いて・・・せっかく日本に来たから、ちょっとお会いしてみたかったんです。」
「左之助と・・・!?左之助は今どこに」
「はい。知り合いと言っても少し知っていただけです。今は・・知りません。そうですか・・・ケンシンさんはいないのですね」
「はい。実は昨年・・・他界しました」
「まあ・・・。それはお気の毒です」
 そういって伏せた横顔が、なんとなく誰かに似ていた。
「ママ!」
 その時彼女の袖に取り付いた洋装の子供を見て、俺は目を疑った。
「剣路・・・いや、剣心っ・・・!?」
  突然大声を出した俺に驚き、彼女の背中に隠れる。
「すみません。この子は私の子供です。ごあいさつしなさい」
 その子は恐る恐る、日本式におじぎをした。
「あの・・・その子は・・?」
 俺はその子から眼が離せなかった。赤い髪、不思議な藤色の瞳。そして左頬には、十字傷。
 おそらく剣心が十代前半の頃はこんなであったろう、そのままの姿をしていたのだ。

 それからしばらく、俺と彼女は縁側で色んな話をした。
 左之助の話で打ち解けた俺たちは、お互いの事を色々と語り合った。俺自身のことや左之助、そしてこの道場、剣心との関わりについて包み隠さず話した俺に、彼女も正直に答えてくれた。
 彼女が左之助と知り合ったのは、ワシントンだという。
 彼女は高級娼婦だったそうだ。軽蔑するかと問われて、俺は母の事を話した。俺を育てる為に身を売った母のことを、俺は羞じたりしないと。彼女は笑って頷いた。
「ひとめぼれだったんです」
 彼女は恥ずかしそうに言った。
「あんな仕事をしていて、恋の真似事をするのだけはじょうずでした。でも・・・初めてでした。サノスケさんはとてももてて・・誰もが夢中でしたよ。あんな人、他にいません。明るくて、まっすぐで皆 に愛されるくせに・・でも寂しそうだった。私になら変えられるかもと思ったんです。彼もね、なぜか私には特に優しくしてくれたの。それにこれでも私、とても売れっ子だったのよ」
 そう言って笑う彼女は、とても綺麗だった。赤い髪の色が太陽に透けて、金に光った。
「でも・・・だめだった。あのひとの心の中には大きな穴があって・・・どうにも埋められないの。いいえ、あのひとに埋める気がなかったのね。多分、他のもので埋めたくなかったんだと思うわ。彼は手に入れられなくても・・・私、どうしても彼の子供が欲しかったの。だってあんな男前の子供、女だったら絶対欲しいと思うわ。ちょっと卑怯な真似をして・・・それでできたのが、この子。」
 いたずらっぽく笑って、彼女は子供を指した。
「左之助は・・・この子がいることを・・・?」
「知らないわ。彼がワシントンにいたのはほんの少しの間だったし、私のことなんかすっかり忘れてるわ、きっと。・・・でも不思議よね、サノスケさんみたいな子が欲しかったのに・・・できてみたら、こんなにかわいい子なの。髪の色は私に似てるけど・・・眼の色はね、こんな色の者はうちの家系にはいないのよ。みんな鳶色」
「この・・・頬の傷は・・?」
「この傷が一番の不思議ね。この子・・・生まれた時からこの傷があるのよ。驚いたわ、生まれつき十字の傷があるなんて・・・教会にでも知れたら、聖痕だなんだって大変よ。 ・・・サノスケさんがよそへ行ってしまってから、今の主人と会ったの。彼、サノスケさんほど男前じゃないけど私の仕事が何でも、子供がいてもいいって言ってくれたのよ。今はとても幸せ。この子もかわいがってくれるし・・・まあこの子をかわいいと思わない人なんて滅多にいないけど」

 俺は別れ際、彼女に一葉の写真を渡した。
 それは、左之助が日本を出る前に、皆で記念にと撮った写真だった。
 その時集合写真の他にも、ふたりずつが組で撮る事を俺が提案し、左之助と剣心もふたりだけの写真を撮ったのだ。
 俺は左之助への餞別に、他の写真と一緒に剣心とふたりで撮った写真も渡した。同じ写真は道場にもあったのだが、ある日薫の部屋のくず入れからその写真が、手で破り裂かれて出てきた。
 俺はその写真を拾い、丁寧に広げて保管していた。その写真の、左之助が写った側の方を彼女に渡したのだ。
 彼女は左之助の姿を写した写真に、子供のように喜んだ。
 何度も礼を言って、彼女は剣心の生き写しのような子供を連れて帰っていった。

 俺にはわからない。
 どうして、剣心の子供が左之助に瓜二つで、左之助の子供が剣心の生き写しなのか。
 遠く離れていたはずの二人の子供が、なぜ互いに互いの姿を写しているのか。

 いや、違う。
 俺は知ってた。
 ずっと前から。
 あの夏の日、縁側で洗濯物を畳んでいた剣心が、左之助の半纏をそっと撫でていたこと。
 暑い日の昼下がり、昼寝をする剣心の髪を、左之助が気づかれぬよう優しく梳いていたこと。
 あのふたりはいつも、互いが見ていない時ばかり、互いを見ていた。
 すれ違い続けた視線は一度も交わることはなかった。
 俺はふたりともが好きで、大事で、だから俺には気づいてた。
 でもあのふたりは互いがあんまり大切で、互いの幸せを思うあまりに何のかたちもなさぬうちに静かに壊れてしまったんだ。
 俺は剣心が好きで、左之助が好きで、薫が好きで、その上ガキで、俺にはどうしようもなかった。
 ただ黙って、壊れていくのを見ているだけだったんだ。

 俺は今、心路にローズさんに渡した写真の残りの片割れ、剣心を写した方を渡そうとしている。
 この写真を心路に渡すことに何の意味があるのか、そしてそのことがこれからどういう意味を持つのか、俺にはわからない。
 でも、何もできなかった俺ができるのは、これくらいなんだ。

 左之助。
 地球の反対側の空の上に行った時、何を思った?
 剣心からできるだけ遠く離れて、何を思ったんだ?

 剣心。
 心路が左之助にそっくりだと知って、どう思った?
 心路を一番大事だと、いとおしいと言った、おまえの心はどこにあったんだ?

 いくら問いかけてみても、答えてくれるふたりはいない。
 ただ俺にわかるのは、俺たち皆が一緒にいた夏がやってくることだけだ。
 今年もまた。

 

2006.8.1了 鷹宮椿
 

続編「誰かの願いが叶うころ(結)」

 



★CLAP★


 


 

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