Bon appetit !      鷹宮 椿


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「剣心、もう店に出していいのあるか?」
「あ、ちょっと待って。最後にマロングラッセのせるから・・・」
 厨房に入ってきた黒いギャルソンエプロンの男に応えたそのひとは、長い赤毛を二箇所で三つ編みにして生成色の三角巾を巻き、真っ白な五分丈シャツに裾の長いエプロンドレス姿だ。
 毎日の事なのに、そのあまりの愛らしさにギャルソンエプロンの男は思わず見惚れてしまう。
 立ち尽くしたまま自分を見つめる男に、エプロンドレスのそのひとは小首を傾げてみせる。つやつやと光る三つ編みが揺れた。濃紺の中に淡い色を湛えた大きな瞳は、不思議そうにこちらをみている。
 「どうした、左之?」
 「い、いや、なんでもねぇ」
 左之と呼ばれた男は赤く染まった頬をごしごしとこすりながら剣心の側にやってくる。
 「うわ、なんだこれ!すげーうまそうじゃねぇか」
 「クレーム・ブリュレ・オ・マロン。バニラのクレーム・ブリュレにマロンのクリームをあわせてみたんだ。カラメリゼの上のデコレは粉砂糖をまぶしたノワゼットと、マロングラッセ。」
 嬉しそうに左之助にケーキの説明をしながら、仕上げのマロングラッセをひとつひとつ丁寧にのせていく。
 「今年は新鮮ないい栗が手に入ったから。ほら、昨日蒸し栗にして食べたろう?中山町産の栗は特別で・・・はい、出来上がり。」
 バットの上に並んだ20個ほどのケーキの上にのせられたマロングラッセがまさに宝石のようにきらきらと輝いている。
 「あ、マロンひとつあまっちゃった」
 すると左之助が口を開けて屈んできた。
 「あーん」
 「・・・・・・」
 剣心は顔を背けて無視しようとするが、左之助に腕を掴まれてしまう。仕方ない、という風に溜息をひとつついてみせると、剣心はひとつ余ったマロングラッセを指で摘んで左之助の口の中へ入れてやった。すぐに離れていこうとした手を素早く掴んで、シロップのついた指先をぺろぺろと舐めた。
 「こ、こらっ!」
 驚いて手を取り返すと、慌てて手を洗う。その頬が微かに染まっているのを見た左之助は満足そうに唇の端をあげた。
 手を洗い終わった剣心の肩を掴んでこちらを向かせると、頬に手を当てて顎をあげる。
 「口開けろよ」
 「んっ・・・!」
 唇を合わせると、歯で割った栗の半分を剣心の口の中に押し込む。舌に軽く触れた後、唇を離した。
 「はんぶんこな。」
 そういって、悪戯っ子のように笑った。
 「ば、ばかっ・・・!」
 こんどこそ顔を真っ赤にした剣心は、左之助を突き放すと慌てて隣の部屋へ逃げ出した。
 こうしてふたりで暮らし始めて、8ヶ月。
 店のガラス越しに互いを知らぬまま想う日々の後、紆余曲折を経て今年の3月に付き合い始め、数週間後には左之助が剣心の営む小さな洋菓子店兼住宅に引越して店も手伝うようになった。おかげで剣心はお菓子作りに専念できるようになり、左之助は主に接客を担当している。
 coeur de l'epee、それが剣心のお店の名前だ。閑静な住宅街の中に建つ3階建てのその家は、1階が店と厨房、2・3階が住居となっている。店の前にはガーデニングが施され、丁寧に世話された季節の花が咲いていた。
 剣心に逃げられた左之助は、しばらく真っ赤に染まった顔と慌てふためいた剣心のかわいらしさにニヤついていたが、機嫌を損ねてしまっては一大事だ。いそいそと剣心の後を追う。
 隣の部屋で、剣心は大きな冷蔵庫を開けて後ろを向いている。
「剣心、」
 声をかけるとぴく、と肩が震えた。しかし聞こえないふりなのか、振り向こうとしない。
 廻りこんで顔をのぞくと、珍しく厳しい表情で冷ややかに左之助を見上げる。
「あー。えっと・・・。・・・さっきの栗、うめぇな」
 その言葉に、剣心は思わずぷっと吹き出してしまう。
 先程は驚きのあまり逃げ出すことしかできなかったが、仕事中、しかも剣心にとって神聖な仕事場である厨房での行為には少々お灸が必要だと大人らしく態度を引き締めていたところだったのに、一瞬で崩されてしまった。
 左之助はいつもそうなのだ。何をしても左之助ならなんとなく許されてしまう。一瞬で人の心を開き、入り込んでしまう。誰もに愛され、誰もが彼の為なら何でもしてやりたくなってしまうような不思議な魅力があった。
 だから。剣心は緩んでしまう頬をそのままに、頭の片隅で思う。
 だから、信じられないんだ。
 この彼が自分の恋人だなんて。
 185cmを超える長身に漆黒の切れ長な瞳、なめした皮のような浅黒い肌、高い鼻梁。近寄りがたいほどの男前なのに、子供のように無邪気に笑う。野生的な印象が強く、一見無愛想に見えるが社交的で友人も多く、先輩からはかわいがられ、後輩からは慕われていた。近隣の中高生や通う大学でも憧れの的で、バイトで時々モデルもやっている。
 今まで女性としか付き合った事がなく、男は剣心が初めてだと言っていた。剣心以外の男には少しも興味がないと言う。店で女性たちに囲まれている左之助を見る度、剣心は不安になる。
 自分との事は、何かの間違いではないのか。
 恐らくゲイではない左之助にとって、自分は一体何なのだろう。
 剣心自身も男性は左之助が初めてだが、左之助に惹かれた時点でその傾向は自分で十分に認めていた。
 左之助のような19の男の子が、どうして30間近でバツイチの男を望んだりするだろう。
 どうせいつか離れるのであれば、傷が浅いうちにと思っても、左之助の太陽のような笑顔を前にするとどうすることもできなくなってしまう。
 それが間違いか勘違いであろうとも、今左之助の目はまっすぐに自分を見ている。
 他の誰にも見せない顔を見せ、甘い声で呼び、力強い腕で抱きしめてくる。
 その幸福から、逃れることができないのだ。
 だから今日も、剣心は左之助を甘やかしてしまう。左之助はそんなことない、と言い張るだろうけれど。
「もう、左之は。ここではダメだって言ってるだろう?仕事中はおれがオーナー、お前はバイト。バイトがオーナーに手ぇ出す店なんてありえないし。わかった?」
「でもさ、剣心があんまり・・・」
「返事は!?」
 抱きしめようと伸ばしてくる左之助の手をぴしゃりと叩く。
「・・・ ・・・わかりました。もうしません。ゴメンナサイ」
「よし。いい子いい子」
 にっこり笑って、爪先立つと左之助の頭を撫でてやる。
「ちぇーっ。子供扱いすんなっつの」
 文句を言いつつも笑いながら、撫でやすいように頭をさげる。
「・・・じゃあさ。仕事中はしねぇから、そのかわりぜぇーったい!浮気すんなよ!」
 その言葉に、剣心はぽかんと口を開けた。
「浮気・・・?」
 しばし呆然とした後、くすくすと笑う。
「何言い出すんだか、左之は」
「冗談じゃねぇぞ。マジで、浮気しやがったら・・・」
「どうするんだ?」
「泣く。泣いてやる」
 大真面目に言う左之助に一瞬目を見開いて、剣心は笑い出した。
「わかった。左之の泣き顔なんて見たくないから、見ないで済むように気をつける。さあ、準備して。開店するよ」

「いらっしゃいませ」
 ドアベルの音に愛想よく挨拶した左之助の顔つきが、入ってきた人間を見て一瞬にしてこわばった。
 入ってきたのは、白に近いプラチナブロンドの髪の背の高い男。
 左之助はこの男を知っていた。
 そう、この男は、女の園である剣心の店で唯一の男性お一人様常連だったのだ。
 男がひとりでこの店の中に入るのに二の足を踏んでしまい、毎日前を通るだけしかできなかった自分を尻目に、何の躊躇もなく平気で入って常連になっていたこの男。
 大体、週に2回も3回もわざわざ車でケーキ買いにきやがって、しかも長々と剣心と話し込みやがって、常連だからって奥の部屋でお茶まで出してもらいやがって、絶対剣心を狙ってやがるに違いねぇんだ!
 左之助は拳を震わせた。
 幸い左之助が店に出始めてから一度も見た事がなかったので、諦めたか糖尿にでもかかったんだろうと安心していたのだ。
 男は店に入ると左之助を一瞥し、
「剣心は?」
 とたずねた。
 その瞬間、左之助の眉がぴくりとあがった。
「申し訳ございませんが、当店ではそのような名前のお菓子は取り扱っておりません」
 左之助は冷ややかに返す。
 男は、ブラウン色のサングラスの奥にある薄青い瞳を眇めて左之助を見返した。
「なんだ、お前は。」
「バイトです」
「ふん・・・まあいい。パティシエを呼んでくれ」
「ご注文でしたら私がうかがいます」
「・・・おかしな奴だな。パティシエに会いに来たんだ。呼んでくれよ」
「パティシエは今手が離せませんので。伝言でしたらお伝えします」
「・・・もういい。厨房だな」
 男は埒があかないとばかりに厨房への扉に向かう。
「まてよ、コラ」
 左之助は後ろから男の肩を掴んだ。
「なんだ」
 男は向き直った。
 男は長身ではあったが、188センチに伸びた左之助よりは低い。しかし肩の筋肉はかなり厚く、身のこなしからしても何らかの体術の心得があることが知れた。
 しかし左之助にしても、高校時代喧嘩屋とまで呼ばれた名前は伊達ではない。
 ふたりは厨房の扉を前に睨み合った。
「ちわー、宅急便でーす。」
 その時馴染みの宅急便屋が顔を覗かせるが、一瞬にして室内の緊迫した状況に気づく。
「えーと・・・。また後から来ます・・・」
 慌てて顔を引っ込めると走って逃げていってしまった。
 まさに一触即発、という時、扉にある丸い窓から男の顔を見た剣心が厨房の扉を開けた。
「縁!久しぶり・・・」
 途端、ふたりはぱっと離れ、視線を外す。
「ただいま」
 男の表情からは先ほどの剣呑な雰囲気は消えうせ、とろけるような笑みを見せる。
「半年ぶりだな。すこし太ったか?」
「えっ、そうかな。縁は?少しは休めるのか?」
「ああ。しばらくはまたこっちでゆっくりできる。これ、みやげ」
 男は手にしていたフォションの大きな袋を差し出した。
「ありがとう。今お茶淹れるから、奥に入って」
 男はまるで左之助などはじめからいなかったように通り抜けた。
「・・・おい剣心。あいつ誰だよ」
 縁が奥の部屋に入るのを見送った後、左之助は不機嫌そうな声で剣心に問う。
「えっ・・・?」
 剣心は驚いたように左之助の顔を見上げた。言葉につまり、視線を彷徨わせる。
「え、縁は前からの知り合いで・・・。あ、お湯、沸かさないと・・・」
「おい剣心!」
 一度も左之助の目をみようとしないまま、剣心はあわてたように背を向けた。

 アンティークのソファに腰掛けて長い足を組み、目の前に並べられた新作の菓子を眺めていた縁は、ティ
ーセットを携えて部屋に入ってきた剣心を一瞥して言った。
「なあ、俺がいない間に何かあったか」
 その言葉に一瞬目を見張るが、にこやかに縁の顔を見返す。
「え?何かって?」
「いや、この新作さ。・・・凄いな」
「そうか?あ、最近やっとバイト雇って。作る方に専念できるようになったからかな?」
 前の椅子に腰掛けて、オールドノリタケに縁のみやげにあったファーストフラッシュのキーマンティを注ぐ。
「ああ、店にいたでかいのか。あんなんで役に立つのか?」
「うん、若いけどよくやってくれるし。」
「あんまり菓子屋のバイトって感じじゃないな」
「あ・・お菓子好きなんだって。学校も近いらしいし・・・」
「ふん・・・お菓子が好き、ね」
 縁はそう呟いて、目の前で宝石のように輝いている菓子に手を伸ばした。
「・・・ところで仕事の方は?」
「ん?おまえがあっちの話聞きたがるなんて珍しいな」
「え・・・そうかな・・・」
「・・・chevalier de gateau」
 縁の唇が呟いた言葉に、剣心は身を硬くした。
「クリヨンのシェフたちが会いたがってたよ。リッツもルグランもな。今回はフォーシーズンズで仕事したけど、そこでも皆お前を知ってたよ。弟だと言ったら握手を求められた。そうそう、ジャン・ポールが今度来日した時に少しでいいから時間が欲しいって。覚えてるだろ?ショコラティエのエヴァンだよ。大したもてっぷりだな、 mon petit chevalier?」
 カップを持つ手が小刻みに震えているのを、縁の薄い色の瞳がじっと見つめる。
「そろそろ復帰してもいい頃じゃないか?その為に必要なものなら全て、俺が用意してやる。おまえは何も考えないで菓子だけ作っていればいい。」
「縁・・・」
「まあ、よく考えておけよ。待ってるから」


「じゃ、また。」
「うん。気をつけて」
 30分ほど後、縁は新作の菓子を携えて店の側に停めていた白いマセラティ・グランスポーツスパイダーに乗り込み去っていった。
 縁を見送って店の中に戻ってきた剣心の腕を、それまでおとなしくしていた左之助がすれ違いざまにわし掴む。
「おい」
「な、なに?」
「なに、じゃねぇ。さっきのぁなんだ」
「え・・・?」
「なんか妙だったろ、おまえ。」
「そんなことない。普通だよ。左之こそなんでそんな怒ってるんだ?」
「怒ってねぇよ。ただおめぇがなんかはぐらかしやがるから」
「はぐらかしてなんかない。縁は・・・昔からの知り合いなんだ。それだけだよ」
 相変わらずちゃんと左之助の目を見ようとしない剣心の態度に、左之助は苛立つ。
 しかしその時客が入って来た為話はそこで断ち切られた。
 左之助は客に挨拶して厨房に入っていく剣心の小さな背中を睨んだ。

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