「誰かの願いが叶うころ」を先にお読みください・・・

 

誰かの願いが叶うころ( 結 )

 

 遺伝子はコピーなのだと生物の教科書に書いてあった。
 もしも俺の外見が誰かのコピーなのだとしたら、俺のこの気持ちも、いつかの誰かのコピーなのだろうか。

だからー、何度言ったらわかんだよ。俺はじいちゃんの孫の心之輔だってば。孫が親父ってなんかそれおかしーだろ。」
 しかしいくら俺がそう言い聞かせても、じいちゃんはにやにや笑いながら頷くばかりだ。
 ダメだ、全然わかってねえわ、こりゃ。
 俺は小さく溜め息をついた。
 子供の頃はちゃんと心之輔と呼んでくれていたのだが、ここ一年ほどでめっきりボケ始めたと思ったら突然俺を「親父」と呼ぶようになった。もともと俺の名前をつけてくれたのはじいちゃんだというのに、それも忘れるなんてひどい話だ。
 まあじいちゃんも今年で86だし、少々頭が呆けるのも仕方がないのかもしれない。ボケと言ったって俺を親父呼ばわりしたり時々記憶が昔と混同するくらいで体はいたって健康だし、 人に迷惑をかけるわけではないので特に問題はないのだが。
 俺のうちは旧家といえば聞こえはいいが、要はでかいだけのボロ家だ。母屋の隣には白壁の蔵まであるが、中にあるのはお宝鑑定に出すのも恥ずかしいようなガラクタばかりだった。じいちゃんが若い頃はそれなりに羽振りもよかったらしいが、俺の親父はただのサラリーマンだ。

  そんなわけでじいちゃんのボケとは無関係に大学一年目の夏休みを謳歌していた俺は、ゼミの合宿から帰宅するとすぐじいちゃんから小さな箱を手渡された。
「親父、これ。」
 じいちゃんは俺の手に木でできた箱をぐいぐいと押し付けると、したり顔で頷いた。
「・・・なんだ?」
 よくわからないが満足げなじいちゃんに促され素直に受け取った俺は部屋へ戻り、改めて箱を見る。
 それは白蝶貝のクラシックな象嵌が施された綺麗なアンティークの箱だった。どうやらオルゴールのようだ。
 しかし開いてみても、中の装飾は美しいが肝心の音楽が鳴らない。壊れているのだろうか?
 持ち上げて耳元で揺さぶると、カチカチと機械の音がする。もしかして何かが挟まって櫛歯を止めてしまっているのかもしれない。俺は底を持ち上げてみた。
「・・・ん?」
 何かが入っている。紙のようだ。
 そっとひっぱりだす。
 一瞬をおいてゆっくりと、オルゴールが「月の光」を音を奏で始めた。
 櫛歯を止めていたのは、手のひらの半分ほどの大きさの破れた紙だった。
「なんでこんなもんが中に・・・」
 裏返してみて、それがただの紙ではなく、真ん中で破り裂かれた写真だとわかった。
 そしてその写真に写っているひとを見た瞬間のことを、俺は一生忘れないだろう。


 それから俺はその写真のひとが誰なのかを探し始めた。
 肝心のじいちゃんはボケちまってて要領を得ない返事が戻ってくるばかりで、オルゴールの中に明らかに隠してあった、しかも手で乱暴に破り裂かれたような意味深な写真について誰彼ともなく聞いて回るのも気がひけて、(もしかしたらじいちゃんの秘密の愛人だった、って可能性もゼロじゃない)写真のことは伏せてオルゴールについてだけ家族に 訊いてみたのだが、誰も知らなかった。
「そういえばおじいちゃん、あんたが合宿に行ってから蔵に篭って色々引っ張り出してたわよ。その時に見つけたんじゃないの。それにしてもそんなアンティーク、まだあの蔵の中にあったのね。価値のあるものはとっくに処分したって聞いてたけど・・・。乱暴にして壊したりしないでよ」
 おふくろはそう言った。

 手がかりもなく途方に暮れた俺は、唯一生き残っている年寄りの家を訪れた。
 恐らくじいちゃんよりも年上で、というか500年生きているといっても全然不思議じゃない妖怪じみたお美也婆さんだ。
 彼女は俺にとってはじいちゃんの嫁、つまり俺の婆ちゃんの姉にあたる。何年も前に旦那を亡くし、今は谷中にある小さな家でひとり暮らしていた。高齢の年寄りが一人で暮らすのに身内には反対する者もいるようだが、意見してもやり込められるのが落ちなので誰も口出しせず、何より本人がその生活を楽しんでいるようなのでまめに皆で様子を見に行くことにしているということだった。
 ばあちゃんとは仲のよい姉妹で、しょっちゅう会いにうちに来ていたしなぜか俺は気に入られて、よく菓子や小遣いをもらっていた。
 しかしばあちゃんが死んでからはうちに来ることも少なくなり、法事などでしか顔もあわせなくなっていた。
 しかし突然の俺の訪問にもさすがは妖怪、少しも驚かず機嫌よく迎え入れてくれた。
「おや、おめずらしい。神谷んとこの心之輔坊じゃないか。暑い中よくおいでだね。おあがりな、ちょうど貰い物のスイカが冷えた頃合いだよ」
 縁側でよく冷えたスイカにかぶりつき、お嬢様育ちのくせに伝法な口調のお美也婆さんとやりあう。
「で?今日は一体何の用だい」
 蝉の鳴き声と時折吹き抜ける風に揺れる風鈴の音の合間、お美也婆さんが俺を促す。
「その様子じゃ、久しぶりに出した顔で小遣いせびりに来たわけでもないんだろ。この年寄りに何か訊きたい事があるんなら、くたばらないうちに訊いときな」
 相変わらずのストレートさと頭の回転の良さに舌を巻く。
「察しがついてたんなら話が早え。たださ・・・、これから俺が見せるもののことは、俺とばあちゃんとふたりだけの秘密にしといて欲しいんだ。いいか?」
「秘密、ね。秘密になんぞしなくたって、この老いぼれ婆、明日には忘れっちまってるさ。誰にも言いやしないよ」
「よし。じゃあこれ・・見てくれよ」
 俺はデイバッグから風呂敷に包んだ白蝶貝のオルゴールを取り出し、お美也婆さんに渡した。
「こりゃまあ見事な箱だね。舶来物のオルゴールだ。・・・おや、これは・・・」
「婆さん、この箱知ってるのか!?」
「・・・・ああ。知ってるよ。うん、これだこれだ。間違いないよ。懐かしいねえ」
 お美也婆さんは箱をためつすがめつしては懐かしそうに目を細めた。俺は初めて得た手がかりに興奮し身を乗り出した。
「で?こりゃ誰のもんだったんだ?」
「これはね、お舅さんの・・・坊からみたらひいじいさんの持ちもんさね。うん、わたしゃお舅さんの部屋にあったのを見たんだ。間違いないよ」
「ひい爺ちゃん・・・」
「ああ。坊は会ったこともないんだねえ。あのひとは・・・早くに亡くなってしまったんだよ。58だったかねえ?そのくらいにさ。名をね、シンジさんっていったよ。心に路、って書いてさ。きっと坊の名前は、ひい 爺ちゃんからもらったんだろうねえ」
「心路・・・」
「お舅さんはね、少し変わったお方でね。どこか遠縁のお家から木挽町の神谷家に養子に入ったそうだよ。気風のいい江戸っ子で、もともと神谷がやってた材木の卸を継いで、商才よりも人望だろうねえ、更に大きくなさってさ。神谷商会っていや大したもんだったんだよ。今は見る影もないけどねえ」
 お美也婆さんは、手の中のオルゴールを撫でながらゆっくりと語った。
「心路さんは・・・ほんに男前でさ。今時で言うとなんだろうね、ワイルド系、とでもいうのかね。色黒で、目元はきりっと涼しくてね。背も高くて、歩いてるだけで人が振り返るような、そんなだからもててねえ。なのに、なかなか結婚しなかったんだよ。神谷の旦那も心配してさ、だってあの時代に30もとっくに過ぎてんのに奥さんがいないんじゃ、とても一人前とは言えなかったからね。大店の若旦那だろ、跡取りのこともあるしねえ。
 誰か心に決めた人がいるのか、って問うても、いないの一点張りでさ。この際色街の女でもいい、ってんで調べさせても決まった娘は出てこなくてねえ。まあこの辺りの話は、私も人から聞いたことだけどね。でも37になってやっと親の勧める娘のひとりを選んで、結婚したんだとさ。それでできたのが、坊の爺さまだよ」
「へえ・・・。そんな話があったのか」
「それが、爺さまは心路さんとは似ても似つかない男でねえ。そりゃどてかぼちゃ、ってほど悪かないけど、親父さんと比べりゃ大分棚落ちだわね。」
 そう言って婆さんはかかと笑った。
「親父さんよか爺さん、つまり神谷の大旦那に似てる、って皆言ってたよ。不思議だね、血のつながった実の父親より、遠縁の大旦那の方に似てるなんざねえ。まあ、なんていうのかい、隔世遺伝、ってもんかねえ。確かに 爺さまのあの顔は神谷家の顔だあね」
 婆さんはひとくちお茶を飲み、話を続けた。
「でも男の子ができたってのに、お嫁さんの産後の肥立ちが悪くてねえ。爺さまを産んですぐに亡くなられたんだよ。だから爺さまは母親の顔もよく知らないのさ。その頃近所で生まれてた赤ん坊はあたしっきり でさ。乳の出もよかったもんで、あたしのおっかさんが爺さまに乳をあげてたんだよ。昔はよくそんな風にして、みんなで子供を育てたもんさ。それが縁で神谷家に出入りするようになったんだよ」
「へえ。じゃあお美也婆ちゃんとじいちゃんは兄弟みたいなもんなんだ」
「そうさね。あたしの3つ下に妹が生まれて・・・それが爺さまと結婚した、坊の婆ちゃんだよ。人の縁ってのは、不思議なもんだねえ」
 初めて知る昔の話に、俺は興味をそそられた。
「その後も、後添いをもらうように皆が勧めたらしいけど、心路さんはどうしても首を縦に振らなかったんだよ。なにせ社長だし、あの男前だろ?後入りでもいいって人は随分いたようだけど、結局やもめを通してさ。一年っきゃ一緒に暮らさなかった嫁が、それほど大事だったんかねえ」
「へえ。ひいじいちゃんは女嫌いだったってか?」
「いいや、そんな風でもなかったけどねえ。あたしが女学生の頃、誕生日に帯留めくれてね。私のいっち大事にしてた振袖に合わせた牡丹でさ。女嫌いならそんな気遣いできゃしないよ。多分心路さんは、 大きくなってもしょっちゅう神谷の家に遊びに来てた私が 、爺さまと恋仲なのかもしれないって思ってたんだろうね・・・。まあそういう意味じゃ、女心をわかっちゃいなかったね、あのひとは」
 お美也婆さんは懐かしげな表情の上に苦笑のようなものを頬に浮かべた。
「じゃあ、その一年で亡くなったってお嫁さんはどんな人だったんだ?よっぽど凄い美人だったんか?」
「その人のことはよく知らないけど・・・なにせあたしも赤ん坊だったしね。おっかさんに訊いた話じゃ、器量もよかったそうだけど、何より髪の色が変わった娘さんだったってさ 。ちょっとばかり赤い色してたって、そのせいで神谷の家じゃ反対する人もあったそうだけど、その子を断ったんじゃ今度いつ心路さんが首を縦に振るかわかったもんじゃないってんで結局その子に決まったんだそうだよ。
 でも、結婚してからも心路さんは仕事が忙しくて、家にはあまり居つかなかったんだよ。何度か洋行までなすってねえ。そんなの他の人に任せちまえばいいのにって仕事でも、わざわざ自分で足運ぶんだって会社の人も言ってたよ。どこかに女囲ってるってわけでもなかったみたいだ けどねえ・・・」
 その言葉に、俺はどきっとした。
「あのさ・・・、お美也婆さん。この写真に、見覚えねえか」
 俺は一か八か、オルゴールの中にあった写真を婆さんに差し出した。
「おや、古い写真だね。真ん中で破けてる・・・」
 お美也婆さんは苦もなく裸眼で写真を覗き込んだ。
「・・・この人に、見覚えねえか?」
「いや・・・知らないね。えらい別嬪だけど・・・娘さんが男のなりしてる・・・いや、よく見てごらん、こりゃ殿方だよ」
「な・・・、何言ってんだ婆ちゃん、こりゃ女だろ」
「ちょっと見女みたいだけど、よくごらんな。着物も男物だし、何よりこんな着付けじゃ胸が丸見えになるはずだ。」
「そ、そんな・・」
 呆然とする俺にかまわず、婆さんは写真の検分を続ける。
「しかし随分と古い写真だね。この写真といいオルゴールといい、坊は一体どこから探してきたんだい?」
「あ、ああ・・・。爺ちゃんがさ、俺にって・・・」
「ふうん。爺さまが、ね・・・。そういや、爺さまの耄碌具合はどんなもんだい」
「あ、ああ・・・。やっぱり俺を親父呼ばわりしたり、まあそんなもんだけどさ」
「心之輔坊を、親父呼ばわりね・・・。なるほど」
「?」
「まあ、あたしゃその写真のお人のことは何も知らないけど、爺さまなら知ってるかもしれないね。」
「だから、その爺ちゃんが当てにならないから、お美代婆さんに訊きに来たんじゃねえか」
「だからさ。今の爺さまには教えてもらえなくても、昔の爺さまになら教えてもらえるかもしれない、ってこと」

 静かで暗い蔵の中は、外の暑さが嘘のように涼しい。
 お美代婆さんによれば、爺ちゃんは昔まめに日記をつけていたらしい。もし処分していなければ、日記はまとめてこの蔵の中に保管されているはずだ。
 埃まみれになってガラクタと格闘すること丸一日、爺ちゃんの日記はボロボロの長持の中から出てきた。樟脳をたっぷり入れていたおかげで臭くはあるが虫食いもなく綺麗な状態だ。まとめて年代順に入れられていたお陰でそれから後は楽だった。
 あのオルゴールの持ち主が、ひい爺ちゃんであることが明らかになったことで、あの写真の持ち主もひい爺ちゃんである可能性が高くなった。お美代婆さんによると、爺ちゃんは大正9年生まれだそうだ。ひい爺ちゃんが亡くなったのは昭和13年だそうだから、とりあえずそれまでの期間に絞ればいいと俺は考えていた。
 ありがたいことに爺ちゃんの日記は多少漢字や表現に分かりにくいところはあれ、理解不能というほどではなかった。よく考えれば 川端康成なんかが活躍していた頃だ。文章も今とかなり近かった。
 ひい爺ちゃんは、本当にあまり家にはいなかったようだ。爺ちゃんの日記に時折出てくるひい爺ちゃんは、まさに尊敬とコンプレックスの対象のようだった。
 似つかない容姿、そして性格。自分が将来父を継げるのかという不安。
 俺にとっての爺ちゃんはとにかく優しいばかりの存在だったが、そんな彼が若い頃に抱えていた思いを知るのは新鮮だった。
 しかしあの写真の人につながるような記述もないまま、昭和13年の7月。
 ひい爺ちゃんは、出先で居合わせた火事場で逃げ暮れた子供を助けようとして亡くなっていた。その時、爺ちゃんはまだ18だった。
 葬式の数日後、気になる記述があった。
 ひとりの老人が、爺ちゃんに会いに来ていた。
 その老人は明神弥彦と名乗り、本郷の神谷道場の元師範だと語った。

 縁側に腰掛けて、客人は庭を見ている。蝉がうるさいほど鳴いて、俺は眉をしかめた。
本郷の、神谷道場・・・。それでは父の』
『ああ、お父上がほんの子供の頃からの知り合いなんだよ。もっとも15を超えられてからはあまり行き来もなくなっていたが・・・しかし、こんなにはやく逝ってしまうとは。全く、生き様まで似るものか・・・』
『え?』
『いや、何でもない。今日はちょっと訊きたいことがあって来たんだ。こんな時に申し訳ないが・・・お父上の持ち物で、・・・破れた写真を見たことはないか 』
『破れた写真、ですか。いいえ、そんなものは一度も』
『そうか・・・。ない、か』
『その写真が、如何いたしましたか』
『・・・いや、大したことではないんだ。大変な時に邪魔をしてすまなかった。忘れてくれ』
『あの・・・、まだ父の遺品の整理もしておりませんので、もしかしたらその際に出てくるかもしれません。ございましたらお知らせを・・・』
『いや、もういいんだ。実をいうと今息子殿とこうしてお会いして、よくわかった。・・・もう、全ては終わったんだ。あの写真にも、もう何の意味もない。・・・俺は結局、何もできずに終わったんだ・・・。それもまた、よかったのかもしれ ないな』
 老人は自分に言い聞かせるようにつぶやき、写真が見つかっても連絡はいらないと告げ、線香をあげて帰っていった。

 それからしばらく後、書斎を整理していた際に、父のオルゴールの中からその写真は見つかった。
 手で乱暴に破られたその写真には、少女と見まごう佳人の姿が写しだされていた。
 そして机の引き出しにあった流水の蒔絵の文箱の中に、父の秘密が隠されているのを知った。

「ひい爺ちゃんの、秘密・・・?」
 俺は日記を繰ったが、肝心のその秘密については一言も書かれていなかった。恐らくわざと書かなかったのだろう。
 手がかりは、流水の蒔絵の文箱。
 俺は写真が最初に爺ちゃんが見つけた時のままオルゴールの中にあったことから、その秘密とやらも文箱の中にまだあるのではないかと踏んだ。
 要は、その文箱の在り処だ。
 俺は最後の賭けに出た。
 「爺ちゃん・・・、いや、坊主。」
 俺は縁側で昼寝をしている爺ちゃんをゆすった。
「おいこら、起きろ。」
 爺ちゃんは目をうっすら開いた。
「なんだ、親父」
「こら坊主。俺の文箱をどこへやった」
 俺は精一杯威厳をつくろって言った。
「文箱・・・?」
 爺ちゃんはぶつぶつ言った。俺はかまわず畳み掛ける。
「そうだよ。俺の蒔絵の文箱だ」
「・・・流水の?」
 つぶやく爺ちゃんに、俺は勢い込んだ。
「そう、それだ。流水の蒔絵の文箱。」
「そんなの・・・ずっと親父の部屋にあるよ」
「違う、てめぇがどこかへやっただろ。机の中から」
「・・・ずっと親父の、部屋にあるよ・・・」
 そう言って爺ちゃんはまたとろとろと眠りに落ちてしまった。
「くそ〜、この老いぼれ爺め〜」
「まあ、おじいちゃんに何てこと言うの」
 吐き出す俺に、通りがかった母親が俺の頭をひとつはたいた。

 俺は自分の部屋に戻るとオルゴールと写真を睨んで途方に暮れた。
 最後の手がかりは爺ちゃんのボケの前にあっさり消えてしまった。
 俺はベッドの上にひっくり返り、天井を見上げた。
 その時、俺の頭にふと、お美也婆さんの言葉がよみがえった。
『そういや、爺さまの耄碌具合はどんなもんだい』
『心之輔坊を、親父呼ばわりね。・・・なるほど』
 そうだ、爺ちゃんはずっと俺のことを親父だと思ってるんだ。だとしたら、さっきの爺ちゃんの言葉は・・・
「もしかして、親父の部屋って、俺の部屋か!?」
 数十分の家捜しの末、文箱は意外とあっさり見つかった。押入れの奥に、俺の子供の頃のアルバムなんかと一緒に無造作に置いてあったのだ。
 渦を巻く流水模様の蒔絵。間違いない。
 この中にひい爺ちゃんの秘密が、ひいてはあの写真の人の秘密があるのだ。
 俺は汗ばむ手をジーンズに擦り付けてから、ふたを開いた。

 中にあったのは、数枚の書付けと書物の写し、そしてうちとは違う神谷家の家系図だった。俺の予想に反し、書付けの一枚は「相楽左之助」という男の海外での居留場所、時期についての詳細なメモだった。そして隅に一文、「明治十一年の出奔以降に相楽左之助なりし者が日本に帰国せし印は非ず、よって不義の疑いあるべくもなし」とあった。
「不義・・・?」
 家系図を見ると、『女・薫』という名の配偶に『旧姓緋村、剣心』とあり、その子として『剣路』、そして次男に『心路』の名があった。 そしてその下に小さく、明治十五年生、の文字。
「そっか・・・お美也婆さんが言ってたな、ひい爺ちゃんは養子だって・・・。てことは・・・ひい爺ちゃんは、この相楽左之助って男との子だって疑いがあったのか。・・・でも違った・・・薫ってひとと、剣心ってひとの子供に間違いなかったんだ」
 俺は別の書付けを手に取る。書物の写しのようだ。
――生物の親子の外貌性格の相似は、その親の心理に潜在せる深刻なる記憶力が、その精子と卵子とに 影響したものにほかならず。直接の父母以外の、他人に酷似せる子が、姦通の事実なくして生るる事あるはこの道理に依るもの也』
『――或る人の姿を思い込み、又、気長く思念し、凝視する時は、その人の姿に似たる児の生まるべき事、必ずしも不合理にざるべき』
『古来貞操に関するを受けて弁解するわず、冤罪に死せし婦人の中にはかかる類例なしというべからず。つ、この判例と学説とを真理と認めて類推する時は、男子にてもかつて恋着し、もしくは記憶せる人に似たるを、現在の配偶に生ましむる事が、あり得べき道理となりきたる』

「どういうこった・・・?」
 俺は、一番下に伏せられていた写真を手に取った。『明治十一年 東京にて 相楽左之助』と書かれている。俺は裏返した。
 その瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
 そこに写っていたのは、古ぼけた写真の中に納まった、自分自身の姿だったからだ。
「うそ・・・だろ・・・」
 体中の血が一気に冷え、総毛だつ。
 間違いなく、俺だった。体つき、姿勢、表情、年頃全てが鏡の中の自分と寸分違わず、しかし俺の全く知らない時間の中にいる。
 俺は混乱したまま、残された最後の一枚に手を伸ばした。
『明治十一年 東京にて 緋村剣心』
 そしてそこには、俺が一目で惹かれ、どうしても正体を知りたいと思ったあのオルゴールの写真の人が、静かに微笑んでいたのだった。

 俺は呆然と居間の天井を眺めている。
「まったく、いい若いもんがなにぼんやりしてんだい。ほら」
 上から顔をのぞかせるのは、お美也婆さんだ。
 俺の額に容赦なく冷たいアイスを押し付ける。
「ああ・・・」
 俺はアイスを受け取って起き上がった。
「それで?写真の人のこた、何かわかったのかい」
「あ、ああ・・・。まあな」
「ふうん。」
 俺の生返事に、婆さんはそれ以上突っ込んでこようとはしなかった。
「・・・なあ、婆ちゃん。ひい爺ちゃんって、どんな人だった?」
「・・・そうさねえ。ほんにいい男で・・・でも、時々寂しそうでさ。そんなとこもたまんなかったね」
「もしかして・・・婆さん、まさか・・・」
 思わずまじまじと婆さんの皺くちゃな顔を見つめる俺に、珍しく顔を赤らめた。
「やだね、坊主の癖に。いっちょまえに色気づいてさ」
 懐かしそうに目を細めて遠くを見つめる。
「自分の親より年上だったし、あたしなんか赤ん坊も同然にしか思われてなかったけどね。でも・・・だからちょっとほっともしてたんだよ。あの人は、誰のものにもならない。もしかしたら心の中に決めたひとがいたのかもしれないけど、あの人はずっとひとりだった。自分のものにならないなら、誰のものにもなって欲しくなかったんだよ。我侭なもんさね、女心ってやつは」
 思い出に浸る彼女をそっと残して、俺は立ち上がった。
「なあ、婆さん。ひとつだけ訊かせてくれよ」
「なんだい」
「俺、ひい爺ちゃんに似てっか?」
 お美也婆さんはにっこり微笑む。
「・・・こないだあんたがうちに来た時、あたしはてっきりあの人があの世へ迎えに来てくれたのかと思ったよ」
「バカ言え、くたばるにはまだ早いぜ」
 俺は片手を上げ、背を向けた。
「じゃあな、お美也さん。また顔見せに来るぜ」
 俺の後姿をどんな顔をしてみていたのか、それは彼女しか知らないことだ。

 今日もまた、爺ちゃんは縁側で昼寝している。
 俺は横へ座り、うちわで扇いでやった。
「親父」
 ぱかりと目を開けて、爺ちゃんがこっちをみている。
「お、目ぇ覚めたか」
 爺ちゃんは顔だけこちらへ向けて、俺を手招く。
「どした?」
「見つかったか」
「あ?文箱か?」
 爺ちゃんは答えず何度か頷くと、俺の肩を何度か叩いた。
「ずっと探しておったろう。でもきっと見つかる。探しておるのじゃから」
 ああ、と俺は思った。爺ちゃんが言ってるのは、文箱の事なんかじゃない。
 でもな爺ちゃん。
 ひい爺ちゃんは結局、見つけられなかったんだよ。

 俺は部屋へ戻り、文箱を開いた。
 あのひとの写真を手に取る。
 写真には、ひい爺ちゃんの字が書いてあった。
『我が思いの現れならば、思い遂げさす為にこそ我世にいずと思いなん。なれば我が思いの先も、この世にあるべかりけれ』
 探して。
 一生かけて探して、結局片割れは見つからなかった。

 ひい爺ちゃんは、信じていたんだろうか。
 彼の思いの先が、この世に存在することを。
 自分が思いを具現したものなら、思われた先にもまた同じ存在があろうなど。
 それとも、頑なに信じずにはいられぬほど、このひとを想ったのだろうか。
 きっと、そんな相手は最初から居なかったんだ。
 でもこのひとにとらわれる運命だけが残った。
 そして、俺もまた。
 何百年も前に死んでしまった、写真の中だけに存在するこのひとに。
 

 そして俺は今、空港にいる。
 大学の交換留学制度を利用して、ニューヨークで暮らしている。
 今日は夏休みを利用してこちらへ遊びに来る友人を空港まで迎えに来たところだった。
 去年の夏の出来事は、俺の中に大きな変化をもたらした。
 俺の体に流れる血に、たくさんの人の思いが綴られていることを。
 人の思いがどれほどの力を持つのかを。
 俺は知ってしまった。
 存在しないひとに焦がれる痛み。
 この焦燥は、胸の痛みは、一体誰のものなのだろう。
 ひいひい爺ちゃんか、ひい爺ちゃんか。それとも俺自身のものなのか。
 ただ何も知らない振りをして、それを抱えたまま俺は生きていくのだ。


 飛行機の到着が遅れる、という電光掲示板の文字を見て、俺は仕方なく空港をうろうろと歩き回っていた。
 その時ふと、俺の視界の端に赤い光が走った。
 その姿を一瞬捉えたと思った途端、俺は反射的に走り出していた。
 ほんの一瞬、横顔を見ただけ。
 でも、俺の直感が訴える。
 心臓の鼓動が早まっていく。
 その人は、どんどん出国ゲートの方へ行ってしまう。
「待ってくれ!」
 いくら叫んでも、俺の声は届かない。
「くそっ、待ってくれよ・・・!」
 まるで悪夢のように、赤い髪はゲートを超え、ガラスの壁の向こうへ消えていく。
「くそっ・・・!!」
 俺は遮るガラスの壁をガンガンと叩いた。
 しかしあの赤い髪は、ガラスの向こうにももう見つけられない。
 俺はがっくりとひざを落とした。
 この時やっと、俺はひい爺ちゃんのように、自分があのひとの存在をあきらめていなかった事に気づいた。
 でも、見失ってしまった。
 恐らく、永遠に。
「あの・・・君、大丈夫?」
 その時後ろから日本語で声をかけられ、俺は顔をあげた。
 その瞬間のことを、俺は一生忘れない。

 俺は見間違っていなかった。
 その人の左頬には、十字に走る傷があった。
 情けなくも、震えが止まらない。
「大丈夫?随分慌ててたみたいだけど」
「あ・・・、ああ・・。実は、さっきあんたを見かけて・・・それで」
「俺を?」
 そのひとの印象的な目が見開かれ、首が傾げられる。赤い髪がさらさらと流れた。
「えっと・・・どっから説明いいかわかんねえんだけどさ・・・。ずっと前からあんたのこと、知ってて・・・。つか、探してたんだ」
「ずっと前から・・・?」
 俺はいつも持ち歩いているパスケースから破れた写真を取り出し、その人に見せた。
「これは・・・」
 そのひとは写真を見て息を呑んだ。
 驚くのも当然だろう。写した覚えのない写真の中に、自分がいるのだから。
 しかしそのひとは無言のまま自分の提げていたバッグの中から古びた本を一冊取り出すと、中に挟まれていた紙を取り出してみせた。
 俺の写真とは逆側が破れた、セピア色の写真。
 その中には、俺と瓜二つの男が写っていた。
 二片の破れ目は、ぴったりとあわさった。
 初めて、その写真が完全だった時の姿を俺は目にした。
 俺と同じ姿の男は、少し後ろに立ってあのひとの肩に手を置いている。あのひとは男の方に少し首を傾げていた。
 そして写真の中でふたりは、同じ優しい笑みを浮かべていた。

 そして俺の目の前には、その笑みが触れられる距離で湛えられている。
「そういえば、あんた飛行機は?」
 やっと我に返った俺に、そのひとはチケットを見せる。チケットには、TO NARITAとあった。
「まさか行く前に見つかるとは思わなかった」
 そういっていたずらっぽく笑うと、俺の手を取る。
「いこう。話したいことが、たくさんあるんだ」
 そして手を繋いだまま、俺たちは外へ向かって歩き出す。
 俺は繋いだ手が離れないように、ぎゅっと握った。


2006.9.20了 鷹宮椿
 

 

★CLAP★

 


 


 

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