Bon appetit !      鷹宮 椿

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その日の夜、剣心は湯船につかりながら大きな丸いバスボムが泡立ち溶けていく様をぼんやりと眺めていた。
 左之助はバイトに出かけていった。先ほど撮影が長引いていて遅くなるので今夜は友だちの家に泊まる、というメールがきたばかりだ。
 絵文字も顔文字もない、用件のみの文章。普段ならなんとも思わないはずが、そこからどうにも左之助の不機嫌さを感じ取ってしまう。
 剣心は溜息をついて湯に顔をつけた。
 縁のことは、決して嘘をついたわけではない。昔なじみ、というのは本当だ。
 ただ数年前、ほんの10ヶ月間縁と兄弟だった時期があった。
 剣心が初めて縁と会ったのは今から5年ほど前、レストランやホテルを渡り歩いている時に美術留学でパリに来ていた雪代巴という女性と知り合い、付き合い始めた頃だった。
 巴は縁を弟だと言って紹介したのだが、生粋の日本人である彼女に対して縁は銀に近いプラチナブロンドに青い瞳の持ち主で、剣心は初め冗談を言っているのかと思った。後で縁とは母親が違う事を聞いて納得したのだったが。
 恐らく左之助は、剣心に昔何かがあった事は気づいている。
 左之助から告白された時、剣心は一度それを理由に断ろうとさえしたのだから。
 でも左之助は無理に聞き出そうとはしない。
 そして剣心もまた、左之助に何ひとつ話すことができないでいる。
「左之・・・」
 無意識についたため息が、湯の表面に波紋をたてた。

「ったくなんなんだっつーの呼び捨てかよ!呼び捨て!キーッ」
「はいはい・・・わかったわかった」
 その頃左之助といえば、幼馴染みであるイラストレーターの克洋のマンションに転がり込んでいた。
 つい先ほど撮影は終了し、原宿のスタジオから徒歩5分のこの部屋に直行してきたのだった。
 そして仕事中だった克洋を相手に、早速溜まったうっぷんをぶちまけ始めたところだ。
「えらそーにマセラティなんか乗りやがって」
「へー。そういう車って買ったら終わりじゃないからな。すげー金持ちじゃんそいつ」
「だからなんだ!!」
「うわっ」
 突然左之助に飛び掛られてプロレス技をかけられ、必死に床を叩いてギブアップする。
「こ、殺す気か・・・」
「まあそれはいいとしてよ。問題は剣心だよ剣心」
「でも本当にただの知り合いかもしれないだろ?呼び捨てにしてるからって何かあると思うのは短絡的すぎるだろうが」
「いや、あいつは絶対剣心を狙ってる。俺にはわかる」
「なんで」
「勘。」
「・・・・・」
「それより俺が気になるのは剣心の方なんだよ。くっそ、あいつ・・・」
「なんだ、うまくいってんじゃないのか」
「うまくいってるっつーの!ラブラブだっつーの!」
「・・・10も年上の男とラブラブって・・・。しかもだいたいおまえ、まだなんだろう?」
 途端に左之助がうぐ、と言葉につまる。
「信じられん。おまえが8ヶ月一緒に暮らしといてまだ・・・なんてな」
「だ、だってよぉ・・・」
「3股バレて詰め寄られてんのに、誰とも付き合ってねー、とかぬかしてた奴がな。ホントお前、変わったよなぁ」
「だってよ、あいつが・・・なんかそういう雰囲気になるとあからさまに逃げやがるんだもんよ。キスとか、触ったり抱いたりするくらいならいいんだけどさ。そっから先にいこうとすっと、途端になんか怯えちまって。そんな顔見たらなんか・・・。無理矢理やんのもかわいそうだし・・・泣かれたりしたらさ・・・」
「つまり、要するにだ。相楽君は嫌がられるのが怖くて手ぇ出せないわけだね。なのに浮気もせずに我慢して。かー、純情だねぇ。世界の中心で愛でも叫んどくか?」
「うるっせぇ、バカ。黙ってろ」
「まあ、そこへきてその態度じゃ、お前も煮詰まるわな。同情するぜ」
「なんでだろうな、あいつ・・・。昔の話とか、絶対したがらねぇんだよ。あいつがしたくないもんを無理矢理訊くのも大人げねぇだろ。でも・・・俺、信用されてねぇのかなあ・・・」
「左之助・・・」
「いつもはすげーうまくいってんだよ。でも時々はぐらかされんだよな。なんか壁作られてるっつうか・・・。おまえは知らなくていい、って言われてるみてぇでよ・・・」
「まあ、まだ付き合って一年経ってねぇくらいだろ。焦るなよ」
「ああ・・・。そうだな・・・そうだよな」
 自分に言い聞かせるように左之助はつぶやき、手の中の缶ビールを握りつぶした。

「え?なに?今何て言ったんだ?」
 数日後、携帯にかかってきた縁からの電話の内容に、剣心は絶句した。
「今度あるパティシエの講習会で、予定してた講師が急病で降りたんだよ。代役やってくれないか」
「そんな、店があるし、無理だよ」
「急だからなかなか見つからなくて困ってるんだ。幸い今度の水曜なんだよ。定休日だろう?そんな大した講習でもない、何人かの前で一品作ってみせるだけでいいんだ。時間も取らせない」
「でも・・・」
「頼む、剣心」
「そんな・・・」
「助けてくれ。頼むよ」
「縁・・・」
 頭を下げたことのない縁に頼み込まれ、そのまま押し切られる形で承諾させられて剣心は受話器を置いた。
 日本に戻ってきてから、人前で製作を披露した事も、教えたこともない。そんな機会は避けてきたし、二度としないつもりだった。町の小さな洋菓子店の職人として静かに暮らしていくつもりだったのだ。
 先日の縁の言葉が浮かび、もしかしてと思う。縁は本気で自分を引っ張り出すつもりなのだろうか。
「まさか、な・・・」

「え?今度の休みに仕事?なんで」
 その日の夕食の時、剣心は左之助に話を切り出した。
「実は・・・頼まれて。講習会の講師なんだ。決まってた人が急病になって、空きができたからって。」
「へぇ。すげーじゃん。講師ってどんなことやんの」
「うん、何人かの前で、何か作ってみせればそれでいいって。」
「ふうん。でも週に一度の休みなのに。来週は別に臨時で休み取るか?」
「ううん、平気。多分すぐ終わるし」
「そっか。でもしんどかったら言えよ?我慢してたら承知しねーぞ」
「承知しないって、一体どうするんだ?」
「抱きしめてチュー。」
「ばか、そんなのおまえいつもやってるじゃないか」
 そういって剣心はくすくす笑った。
 本当は別の事がしたいんだけどな、と左之助は思いながらも、口に出してはいえないのだった。

 火曜日の夕方遅く、店に電話がかかってきた。
 左之助が電話をとると、受話器の向こうから聞こえてきたのは甘いテナーの笑い声だった。
『やっぱりお前がでたな、ガキ』
「・・・てめぇ、縁か」
 受話器を握る手に力が入る。
『お前に話があってこっちにかけたんだ。明日の講習会、無事に送り届けろよ』
「講習会・・・?もしかして・・・剣心に仕事頼んだってのはてめぇか!」
『ご名答。よかったらお前も見ていけばいい。面白いものが見られるかもな』
「てめぇ、何たくらんでやがる」
『たくらむとはひどい言われようだな。ちゃんとした仕事の依頼だ。報酬も払う。とにかく明日は遅れずにこの後ファックスする場所に剣心を連れて来いよ。話はそれだけだ。剣心に替われ』
 左之助は舌打ちをつくと、剣心を呼んだ。
「剣心。電話」
「誰?」
「縁。」
 瞬間、剣心の顔色が変わった。左之助から受話器を受け取る。
「縁、どうして店に?・・・いや、それはいいけど・・・明日の事?」
『ああ。明日、ちゃんと来いよ。待ってるから』
「うん、それは大丈夫・・・」
『準備はちゃんとできてるから。道具も全部揃えてあるから、明日はおまえが来るだけでいい。』
「うん、じゃあ明日・・・。おやすみ」
 電話を切った後、腕を組んで剣心をじっと見ている左之助を見上げた。
「・・・左之」
「どうして仕事持ってきたのが縁の奴だって黙ってた?」
「ごめん、なんか言い出しにくくて・・・。昔からの知り合いに困ってるって頼み込まれて、断りきれなくて・・・だから」
 左之助はため息をついて、うつむいてしまった剣心の頭をなでた。
「別に怒ってねーよ。最初からそーいえばいいんだって。でも、あの縁って何やってる奴?」
「あ・・・縁は、ホテルやレストランのプロデュースとかマネージメントとか・・・コンサルティングなんかもやる会社をやってるんだ。今回の講習会も、その関係だと思う」
「ふうん・・・。そっか。明日さ、俺も一緒に行っていいか?その講習会」
「え、左之も?どうして」
「なんか見たいじゃん、剣心が先生やるとこ。いいだろ?」
「俺にはなんともいえないけど・・・、ひとり後ろで見てるくらいはいいんじゃないかな、多分。でももし見られなくても大人しくしてろよ?」
「うん。わかった。なんかワクワクすんな」
 左之助は笑いながら片づけを始める。また機嫌を損ねてしまうかと思っていたが、しょげてみせたのが効いたらしい。講師姿を左之助に見られるのは恥ずかしかったが、断って縁との仲を邪推されるよりはましだ。剣心はほっと胸をなでおろした。
 翌日、昼過ぎに左之助は愛車のハーレー、黒のヘリテイジ・ソフティル・クラシックを車庫から出し、剣心用のヘルメットを差し出した。
「場所、知ってるのか?」
「ああ、昨日縁から地図のファックスが来たから。」
「気づかなかった。場所わかるんならいいよ」
 大きなバイクにまたがる左之助の腰に手を回し、身体を預けた。
「よっしゃ。じゃあ行きますか!」
 筋肉の張った鎧のような身体にしがみつき、流れていく風と景色をやり過ごす。ぼんやりと物思いにふけっていたところへ、突然バイクが停止した。信号かと思っていると左之助が振り向く。
「剣心、ついたぜ」
「え?もう・・・?」
 バイクから降りてヘルメットを外し、目の前の光景に愕然とする。
「左之、ここは・・・?」
「代官山だろ」
「区のカルチャーセンターじゃなかったのか?」
「昨日のファックスにはここが書いてあったぜ。間違いねぇ。どうかしたか?」
「ここは・・・パリにある有名な料理学校の日本校だよ。麗しのサブリナでオードリーが通った・・・くそ、縁にはめられた・・・!」
「すげーなここ、学校なのか。レストランかなんかと思ったぜ。はめられたってどういう意味だ?」
「いらっしゃい、緋村さん。」
 その時、ふたりの後ろから声がかかった。
「縁・・・!」
「よくおいでくださいました、緋村さん。こちら校長の・・・」
 縁の横に立っていた初老の男性が、紹介も待ちきれないといった風情で剣心に握手を求めた。
「初めまして、緋村先生。お目にかかれて光栄です。本日は講師をお受けいただき大変ありがとうございます。皆大変楽しみにしておりまして・・・」
「さあ、緋村先生、こちらへどうぞ。皆さまお待ちかねですよ」
 縁は呆然としている剣心の腕を取って中へ促した。
「おい縁!」
 剣心の様子に不審を覚えた左之助が縁に詰め寄るが、小さな鋭い声でとどめられる。
「ガキは黙ってみてろ」
 そして打って変わって丁寧な口調で、
「校長、緋村先生のお連れさまのご案内をどなたかにお願いしてください。こちらも講習をご覧になりますから」
 剣心は既に建物の中に入ってしまっている。ここで暴れてよいものか判断がつきかね、左之助は縁を睨みつけながらも大人しく従うしかなかった。

 左之助が案内されたのは、大学の講義室のような場所だった。ただそこは教壇ではなくキッチンが備え付けられていた。青い刺繍入りのユニフォームを着た者たちが最終の準備に動き回っている。すでに椅子は全て埋まり、立ち見まで出ている状況だった。外国人の姿も多く、部屋に入りきらない人たちのためにモニターのある別室を案内するアナウンスが流された。
 左之助は剣心を探して歩き回ったが、控え室にでもいるのか見つからない。諦めて会場に戻ったところで、後ろから声をかけられた。
「お役目ご苦労」
「この野郎・・・」
 唸りながら振り返ると、銀髪の男がニヤニヤ笑いながら立っていた。バイカージャケットにYENのブラックデニム、腰にはクロムハーツのウォレットチェーンといういでたちの左之助と、ヴィクターアンドロルフのスーツを纏った縁が正面から向き合う光景に周囲の視線が自然と集まる。
「剣心はどこだ」
「まあ落ち着けよ。じきに出てくる。・・・ほら、見ろ」
 縁が前方を顎で指し示した途端、講師を紹介するアナウンスが流れ、一斉に拍手が起こった。
 制服姿の女性に案内されて少し俯き加減に入ってきた剣心は、持参していたベレータイプのコック帽を被り、コックコートにロングエプロン、首にはチーフを巻いている。ゆるくみつあみにした髪を垂らしたその姿は、まさに愛らしい少女そのものだ。
 会場内は案内を受けてキッチンに入り、頭を下げた剣心にざわめいた。慌てて年齢や性別を確認しようと資料を探す人たちや、剣心を助手だと思い込み、居るはずの講師を探す人たちで一時騒然となる。
 しかし剣心は構わず、よく通る声でマイクに向かって話した。
「本日、講師を務めさせていただく緋村剣心です。よろしくお願いします」
 途端、室内は静まり返った。
「これから作るのは、クロカンブッシュです。ご存知の通り、結婚式などのお祝いの席で出されるシューのデコレーションケーキ、ピエス・ド・レセプションの代表的なものです」
 講義が始まると、呆然としていた人たちも我に返りあわててメモを取り始めた。
 無事始まった様子に、左之助はほっと胸をなでおろす。
 落ち着いて周囲を見回してみて、集まった人たちの真剣な様子に左之助は驚きを隠せない。お菓子の世界を全く知らない左之助にとって、剣心の製作はただ手際の良さしか理解できなかったが、ここに集まった人たちにとっては驚きと賛嘆の連続であるらしい。
 ため息をついて剣心を見つめる人たちを見ていると、左之助の知らない言葉を話す剣心がまるで手の届かない場所にいるように感じてしまう。
「やっとわかったか、おまえの雇い主がどんな存在かが」
 横で腕を組んで見ていた縁が、左之助の考えを読んだかのように言った。
「今ここで話を聞いてるのは、学生だけじゃない。ほとんどがプロのパティシエだ。皆仕事を抜けてここへ来ている。それだけの価値が、緋村剣心にはあるからな。」
「・・・・・」
「そんなあいつが、あんな小さな菓子屋で埋もれてしまっているのは、罪だと思わないか?」
 剣心の繊細で小さな手は踊るように優雅に動く。あっという間にケーキを作り上げていく様は、まるで魔法使いのようだ。
 クロカンブッシュはシューと丸くくりぬいたヌガティーヌを高く積み上げていく、非常に熟練した技術と手間を要するケーキである。剣心は手早く小さなパータ・シューを焼き上げ、時間との戦いであるヌガティーヌを手際よく形に仕上げていく。そのあまりの鮮やかさに、メモを止めてただ食い入るように見つめだす人も出てきた。
 集中力を増した剣心は、段々フランス語しか話さなくなってきた。自分が側にいる時とは打って変わって厳しい表情をした剣心はまるで知らない人のようで、左之助は自分でも気づかぬまま手を強く握り締めていた。
chevalier de gateau・・・」
 縁がつぶやいた言葉に、ふと我に返る。
「何?」
「シュヴァリエ、だよ。あいつは昔、そう呼ばれてた」
「シュヴァリエ?」
「騎士、ってことさ。あいつは特にショコラと細かい細工が得意で、ナイフやパレットの扱いに秀でていたからいつの間にかそんな風に呼ばれてた」
「・・・おまえ、一体剣心の何なんだ。どうして剣心に構う。昔の何を知ってるんだ」
「剣心は俺を何て言ってる?」
「・・・ただの、昔馴染みだってよ」
 縁はクク、と喉の奥で笑った。
「昔馴染み、ね」
「何がおかしい」
「いや、別に。あいつがそう言うんならそういうことにしといてやるよ」
「・・・どういう意味だ」
「じゃあ俺からも聞くがな。お前はあいつの一体何だ?」
「俺は・・・」
 左之助は遠くにいる剣心に目を向けた。
 左之助は、自分たちの関係を誰に話しても恥ずかしくないと思っている。それどころか、この美人の恋人の事を世界中に自慢したくてしようがない。しかし剣心の方は、周囲に左之助との関係を知られるのを避けているふしがあった。
 そのことを克洋に相談したりもしたものだが、気ままな学生の左之助ならともかく社会人、しかも評判第一の自営業である剣心の立場も考えてやれ、となだめられていたのだった。
 剣心にとって自分との事は、隠しておきたい秘密なのだろうか。この縁という男について詳しく知らない自分が軽々しく恋仲だなどと宣言しては、剣心が後で困るかもしれない。
 何より、お互い好きなのはわかっていながら一線を越えられずにいる今の関係を何と呼べばいいのだろうか。
 それきり口をつぐんでしまった左之助に、縁は唇の端を上げた。
「俺が言ってやろうか?おまえはただのバイトのガキ」
「・・・だったらどうした」
「あいつは、おまえの手に負える相手じゃないって事さ」
「なんだと」
 左之助は怒気をはらんだ低い声で横に立つ縁の襟首を掴んだ。
「だからおまえはガキだって言うんだ。今ここで暴れて、剣心に迷惑かける気か?」
「・・・クソッ・・・」
 左之助は奥歯をかみ締めて唸りながら手を離した。
「今度店に顔だした時ゃ容赦しねぇぞコラ」
 大抵の者が震え上がる眼つきで睨みながら低い声ですごむ。しかしそれに縁は意味深な笑みで返した。
「その時にまだ店があればな。」
 その言葉の意味を問いただそうとした時、剣心が大きなバラの飴細工の飾りつけを終えた。
「これで、できあがりです」
 出来上がったケーキは1m以上の高さになっていた。微妙なバランスでシューとヌガティーヌがつやめくカラメルで接着され、積み上げられている。グラスロワイヤルで描かれた繊細で優雅な曲線の文様、そして予定にはなかったのだが剣心が即興で作った、生花と見紛うばかりのバラの飴細工。
 一瞬の後、大きな拍手が沸き起こった。
 先ほどまでの厳しく真剣な表情と打って変わり、きょとんとして瞬きする様はまるで別人のようだ。
 それまでおとなしく座っていた人たちがキッチンにつめかけ、剣心を質問攻めにし始める。剣心はとまどいながらもひとりひとり丁寧に答え、実地にやってみせた。
 その度に賛嘆の声が起こり、剣心がはにかんだ笑顔を見せるとさらにどよめきは増した。
「ひ、緋村先生、よろしかったらぜひ一緒にお写真を・・・」
「シュヴァリエ、握手してください!」
「ケーキもすごいけどセンセーが超カワイイ!」
 まるで街中で芸能人に出くわしたような騒ぎになりかかり、剣心はきょろきょろと辺りを見回す。
「さ、・・・えに、縁!」
 その瞬間、狙いすましたように縁がすっと割って入った。一瞬出遅れてしまった左之助はほぞをかむ。
「申し訳ございません、そろそろお時間が参りました。皆さま席にお戻りください。本日はどうもありがとうございました」
 そう言って縁は剣心の腰に手を添えて扉へと促す。縁の影に隠れてしまった剣心に、周囲から落胆の声が起こった。
「ありがとうございました、緋村剣心先生でした。後ほどクロカンブッシュはご試食いただけるそうです。皆さま、どうぞ拍手でお送りください」
 縁の巧みな誘導で、剣心は無事退出した。左之助もあわてて後を追う。
 用意されていた控え室に入ったとたん、剣心は縁の手を振り払うとぷいっと横をむいた。
 縁は笑いながらなだめる。
「まあそうむくれるなよ。うまくいったじゃないか。おかげで講習会は成功だ。助かったよ。ありがとう」
「・・・どうして、騙したりした?」
「おまえの為だから。」
「えに・・・・」
 剣心は一瞬目を見開き、形のいい眉を苦しげに歪めた。
「疲れただろう。どうだ、飯でも食いに行くか?」
「剣心、帰ろうぜ。」
 左之助が縁を睨みつけながら、後ろから剣心の肩に手をかけた。
「う、うん。」
 左之助を見上げて頷く。
「今日は帰るよ。」
「わかった。じゃあ、今度ゆっくり。」
 手早く着替えて関係者に挨拶を済ませ、左之助に促されて部屋を出て行く前に剣心は一度後ろを振り返る。
 縁は穏やかに微笑みながら、小さく手を振っていた。





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